ガイドラインは盲信すべきか

研究の背景:ガイドラインでは「膵頭十二指腸切除術にはセファゾリン」、盲信すべきか

「ガイドラインに書いてあるので」は、医学生なら許している。研修医なら、「なぜガイドラインに書いてあるのかな」と根拠を問う。後期研修医(フェロー)レベルなら、「ガイドラインに書いてあるけど、本当にそうすべきなのかな」と問うている。

 科学の敵は思考停止だ。「ガイドラインに書いてある」は一種の思考停止である。「ガイドラインに書いてあることの意味」を問わなければ、知的営為とはいえない。

 診療行為は知的営為だと思っている。しかし、多くの医者は、診療行為を「習慣の産物」だと勘違いしている。昔、某講演会で、座長に「研究には厳しい研鑽や指導が必要だ。でも臨床は、やっているうちにできるようになる」と言われて絶句したことがある。もちろん、検査をオーダーしたり、薬を処方することは「やっているうちにできるようになる」だろう。しかし、それを診療行為と呼ぶかは微妙だ。ネズミに餌をあげたり、試験管を振ったり、統計ソフトのボタンを押すこと自体を「研究」とは呼ばないだろう。

 科学とは疑う営為だ。ある学説や偉い先生やガイドラインを信じるのは科学的態度ではなく、宗教的態度だ。科学と宗教は、案外区別しにくい。そう学生には教えてきたが、実は宗教も「疑う」べき対象だと最近(恥ずかしながら)学んだ。出口治明氏の『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社、2019)を読んでふと気付いたのだ。

 全ての宗教は、その時代時代の現実的な問題に対応するために教義を変えてきた。一見、非合理に見える教義も、誕生したときには合理的な目的があったのだ。ローマ・カトリック教会が腐敗したときは、それに「抗議」すべくプロテスタント(抗議する者たち)が生まれたように。だから、現実世界を無視して昔からの教えに忠実であろうとする「原理主義」は、どの宗教であれ基本的に原理的に間違っているのだろう。

 話はむちゃくちゃずれたが、要するに盲信してよいガイドラインなどはない。ガイドラインは吟味して、検証して、その妥当性が十分にあるときには援用し、そうでないときは従わなければいいのである。

 さて、そこで膵頭十二指腸切除術(pancreatoduodenectomy;PD)だ。膵臓がんなどで行われるPDはコモンなオペだが、合併症は多く、創部感染(SSI)は13〜47%の頻度で発生する。

 権威ある米国感染症学会(IDSA)のガイドラインによると、PD施行時のSSI予防に推奨される術中抗菌薬はセファゾリン(CEZ)である。しかし、PDではしばしば胆汁ドレナージ(PBD)が必要になり、胆汁内の細菌が感染の原因となる。胆汁内の細菌はEnterobacterのような腸内細菌科や嫌気性菌、腸球菌などであり、CEZでは効かないものが多い。よって、「PD全部CEZは無理筋じゃね?」という疑問が当然起きる。少なくとも、PBDがなされているPDでは疑問が強まる。

 そこで、今回紹介する論文は(だいたいの)腸内細菌科をカバーする第三世代セファロスポリンであるセフトリアキソン(CTRX)の、内視鏡的PBDを行っているPD後のSSI予防効果を吟味したものである。

Shusei Sano, Teiichi Sugiura, Ichiro Kawamura, Yukiyasu Okamura, Takaaki Ito, Yusuke Yamamoto, Ryo Ashida, Katsuhisa Ohgi, Hanako Kurai, Katsuhiko Uesaka. Third-generation cephalosporin for antimicrobial prophylaxis in pancreatoduodenectomy in patients with internal preoperative biliary drainage. Surgery. 2019 Mar; 165(3): 559-564.