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がんサバイバーが語る「がんとの上手な付き合い方」 前編

 2014年04月16日 10:30

 治療法の進歩により、がんを克服する人や治療を続けながら長く生き続ける人が増えている。こうした「がんサバイバー(生存者)」は、どうやってがんと付き合っているのか―。3月22日に千葉市内で開かれた日本臨床腫瘍薬学会の市民公開講座「サバイバーシッププログラム―がん患者の笑顔のためにできること―」では、がんサバイバーである牧野かおりさんが「がんとの上手な付き合い方」と題して講演。自らの闘病とその後の日々を振り返って、希望や前向きな気持ちと恐怖や不安の間を揺れ動く自分を、そのまま認めることが必要ではないかと語った。さらに、その助けとなった仲間や家族の存在、誰かの力になれることの大切さを強調した。(後編はこちら

車椅子生活からトライアスロン出場へ

 牧野さんはトライアスロンを愛するスポーツウーマンで、特に計154キロの「ロング・ディスタンス(長距離)」といわれる最も過酷な種類のレースにロマンを感じるという。去年も水泳3.8キロ、自転車ロードレース180キロ、長距離走42.195キロの計226キロを競う「アイアンマンレース」を完走したが、実は彼女、がん治療による車椅子での生活を乗り越えて今に至るのだ。

 牧野さんは2003年10月、22歳のときに、血液のがんであるホジキンリンパ腫と診断された。告知を受けたときは、ショックよりも、ようやく診断がついて治療が受けられる! との安堵(あんど)の方が大きかったという。

 医師には全ての情報を知りたいと伝え、標準的な治療と臨床試験段階にある新しい治療では、早く終わる方がよいと新しい治療を選んだ。入院の前日に出る予定だったフルマラソンの会場に行き、「来年はこの場所にいる!」と決意して入院したという。

前向きな自分と病気におびえる自分

 抗がん薬での治療が始まると、髪の毛が抜けた。そういう時もガーンと落ち込んだりせず、ドライヤーに吹き飛ばされた抜け毛を「キャッチ!」するなど、笑いながら過ごしていた。家族は「この子、自分の病気のこと分かっているのかな...」と心配していたようだが、彼女はただ、「どうしたら今を楽しく過ごせるか」を考えているだけだった。何かを楽しんでいないと、22歳という年齢での発病は悔し過ぎて耐えられなかったのだ。

 心のどこかには「半年後はここにはいないだろう」という思いもあった。そこには2人の自分がいたのだと、彼女は語る。「楽しもう!」と思う自分と、「もう最後かもしれない...」と考える自分。その両極端を行ったり来たりする日々だった。

 治療が進むと体が動かなくなり、車椅子での生活を余儀なくされた。「もう起き上がれないし、死は近いのかな...」と考えた。たとえ治療が成功しても、とてもスポーツができるようになるとは思えなかった。

 そんなとき友人が教えてくれたのが、がんサバイバーをサポートする米国の非営利団体「LIVESTRONG(リブストロング)財団」だった。財団のウェブサイトを開いてみると、スポーツをして自分らしく暮らすがんサバイバーの存在を知る。その姿が、牧野さんの生きる希望になったという。

抗がん薬治療を終えトライアスロンを完走!

 抗がん薬の治療が終わった。「進行していたので内臓などは腫れたままだけど、ここで治療をストップしましょう」と医師から言われた。部分寛解(治療により腫瘍が小さくなったものの、症状が完全には消えていないこと)である。このとき、牧野さんは「私には完治ということはないんだな...」と感じたという。

 これからも治ることを目指すのか、治ったか治っていないのか分からないけれどできることをして生きていくのか。どちらの人生が良いのだろうかと考え、「自分が楽しいことをやっていこう!」と決心する。前年にキャンセルしたフルマラソンに参加。両親と一緒に走ることができた。

 そうなると、ずっと夢だったトライアスロンにも参加したいと思うようになり、治療終了の3年後に大会に出場。2007年には念願の宮古島トライアスロンで水泳3キロ、自転車ロードレース155キロ、長距離走42.195キロの全200キロを完走し、新聞にも掲載された。

 夢はかなった。感謝と生きる希望を伝えたいという自分の思いも表現できた。にもかかわらず、「すごくモヤモヤしていた」と牧野さんは言う。(後編につづく

(編集部)

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