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原千晶さんインタビュー(子宮がんとの闘い)(2)

 2012年05月07日 10:02

――2度目のがんの兆候はどのようにして気が付きましたか。

 円錐切除の手術を受けてからあと2カ月でちょうど5年たつ、という2009年の年末頃に異変を感じ始めました。生理の経血量が以前と比べものにならないほど増えて、無色透明のさらさらした水のようなおりものが大量に出たんです。最初は「この歳で尿漏れ?」と思ったほどでした。

 「早く病院に行かなければ」と気にかかっていましたが、ちょうどドラマの撮影で時間が取れなくて、先延ばしにしてしまったんです。約2カ月の間に、状態はどんどん悪くなっていきました。明日で撮影終了という日、生理痛が悪化しそうだったので鎮痛薬を飲んだのですが、さらに痛みが増していって、あまりの激痛に脂汗が出て転げ回るほどひどくなったんです。

 痛みが少し治まってから、子宮頸がんの時最初に行ったクリニックに駆け込みました。そこで「頸部に腫瘍ができています。2度目だし、これはがんでしょう」とはっきり言われました。またがんになった、という事実に衝撃を受けましたが、それでも前回と同じように手術をすればすぐ良くなるだろうと、その時はまだ楽観的でしたね。とはいっても、1度目のがんの経験から5年間を過ごすうちに「次に何かあったら子宮を取ることは免れないだろう」という覚悟は無意識のうちにできていました。

――子宮摘出は覚悟していたのですね。

 通院を中断してしまった前の病院には行きづらかったので、都内の有名ながん専門病院に行ったところ、先生が内診するなり「ああだめだ、これは」と言ったんです。それを聞いた瞬間、ものすごい後悔に襲われました。がんになって、後にも先にもそこまで後悔したことはなかった、というほどの感情でした。それと、恐怖ですね。「どうしよう、自分はどうなっちゃうんだろう...」という思い。さらに先生が「手術はできる、かな...」と言うんです。手術ができないなんて想像もしなかったので、その言葉を聞いたときは戦慄が走りました。自分が思っていたよりもはるかに状態は悪いんだと、やっと気が付いたんです。

――先生の診断はどうだったのでしょう。

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 先生は「これは間違いなくがんで、しかも進行しているから一刻も早く手術しないと命に関わります」と言いました。私の場合は「広汎子宮全摘出術」という術式で、子宮だけでなく卵巣や卵管、骨盤内のリンパ節も摘出しなければならない、さらに、手術が終わった後は抗がん薬治療を6クール行うまでが1セットの治療だという説明でした。手術さえすれば治ると勝手に思い込んでいたので、抗がん薬という言葉を聞いたときは打ちのめされました。

 治療先の候補として、このがん専門病院と前回手術した大学病院に加えて、両親がいる北海道の病院も提示されました。というのも、交際相手との関係が患者の予後を非常に左右する上に関係が破綻するケースも多いそうで、「一人では絶対に乗り越えられない」ほど過酷なこの治療を、交際相手ではなく両親の元で受けることが一案として示されたのです。けれども、当時今の主人と付き合っていたわたしは、診察にも付き添ってくれた彼と一緒に乗り越えたいと心に決めたので、選択肢はがん専門病院か前の大学病院のどちらかでした。

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