いつ飲んでも美味しいお酒を目指して
桜井 博志 旭酒造株式会社 会長
1950年山口県周東町生まれ。1948年創業の旭酒造の3代目を継ぎ、経営難に陥っていた酒蔵を立て直す。日本酒の研究を重ね1990年に純米大吟醸『獺祭』を発売し、国内外で高い評価を得ている。
山口県岩国市の山奥にある酒蔵が、今や日本のみならず世界から注目される日本酒ブランドとして知れ渡るようになった。それが『獺祭(だっさい)』だ。1990年に誕生し、それまでの日本酒づくりから脱却し、「飲んだ人が幸せになれる酒を」という信念を貫く、桜井博志会長の想いとは。
美味しい日本酒のために慣習を捨て仕組み化を実現
2014年、米国オバマ大統領(当時)来日の際に安倍首相がプレゼントした日本酒としてその名が世に知られることとなった『獺祭』。
「私は旭酒造の3代目ですが、一時期、会社を離れて石材販売の仕事をしていました。その時に実感したことが、『良いモノは売れる』ということ。日本酒は杜氏が酒造りを取り仕切るというのが長く培われてきた伝統です。しかし私は自分が造りたい酒のみを造る、ということを心に決め、杜氏の経験や勘だけに頼らず、数値やデータによる酒造りに着手しました。そのため旭酒造には杜氏はおらず、社員のみで日本酒造りをしています。最高品質の純米大吟醸に特化して美味しさを追求したお酒、その結果生まれたのが獺祭なのです」と語る桜井会長。当時は精米歩合25%が最高だったが、旭酒造では23%の「磨き二割三分」を生み出した。その後、それを超える精米歩合の日本酒が他社から発売されたが、旭酒造では23%を「目的」ではなく「手段」と捉え、問題視していないという。旭酒造を受け継いで以降、売り上げを飛躍的に伸ばし、日本酒業界全体にも大きな変革をもたらした。
「今年(2017年)の年末には、ミシュランの星を世界最多で持っているジョエル・ロブション氏と共同で、パリに獺祭が飲める店舗をオープンします。獺祭は海外への出荷が増えたことで、世界的に認知されるようになりました。それに伴い、ボルドーワインやシャンパンメーカー、さらにはカリフォルニアのワインメーカーの生産手法や動向が気になるようになりました。ワインに比べれば日本酒の製造者の規模は小さいですが、世界の市場ではライバルです。これからはそういう意気込みで獺祭を造っていかなければと思っています」
この獺祭の成功をきっかけに日本酒の魅力が見直され、地元の山口県では5社の酒蔵が復活したという。
「海外に出たことで、『日本酒とは何か? 獺祭とは何か?』ということを改めて考えさせられ、美味しさを掘り下げ、さらに進化させていく必要性を痛感しました。純米大吟醸の売り上げでは国内第一位となり、海外でも評価された獺祭ですが、現状にあぐらをかかず、常に変わっていかなければならないと感じています。そのためには、4代目の桜井一宏社長にはあえて成功に背を向けてでも、私がやってきたことを否定しながらさらに高みを目指していってくれたらと思っています。今よりももっと美味しい日本酒をお客様に届ける、それが獺祭の将来へのヴィジョンなのですから」と語る桜井会長。ますます日本酒が進みそうだ。
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旭酒蔵☎0872-86-0120
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