江戸時代、浮世草子の作者として名をはせた井原西鶴は大坂の人である。30代の終わりまで、俳諧師として身を立てていたが、40歳の折り、たまたま書いた『好色一代男』を私家本として出版したところ、大変な評判を呼んだ。うわさを聞いた江戸の本屋がこれを菱川師宣のさし絵入りで出版して以来、西鶴は押しもおされぬ流行作家になり、『好色五人女』『世間胸算用』など、やつぎばやに名作をものにする。あまりに売れすぎて筆がまにあわず、代作者までいたらしい。47歳のときには過労がたたり、執筆不能に陥った。