上田ではなぜ、"安らかな看取り"を目指すのか

〜上田“新田の風”理事長・井益雄(い・ますお)氏に聞く〜

  • Facebookでシェアする
  • Medical Tribune公式X Xでシェアする
  • Lineでシェアする
感染症ビジョナリーズ 感染症ビジョナリーズ

 上田薬剤師会の活動を追いかけてきた本シリーズ。前回は、上田薬剤師会と地域の医師や住民、自治会との連携に注目。そこから生まれたNPO法人"新田(しんでん)の風(かぜ)"の「安心して老いを迎えられるまちづくり」を目指す活動を紹介した。コンセプトは「住民同士が支え合う」、「ゴールは安らかな看取り」の2つだ。「安らかな看取り」、耳触りのよい言葉だが、実は「病気を治す」ことを至上命題としてきた現代医療を否定しかねないラジカルな主張である。そして、それはどうすれば実現できるのか。今回は、なぜ「穏やかな最期」「安らかな看取り」を本気で実現しようするのか、"新田の風"の理事長に尋ねた。

 認定NPO法人*"新田の風"が掲げる目標は、「たとえ介護者がいない人でも、本人が望めば最後まで自宅で支える」こと(→関連記事)。地元にこんなグループがあれば、どんなに心強いことだろう。ただし、"新田の風"は単なる助け合いグループではない。老いとは何か、「ボケる」とは何か、死とは何かについて、人生観、死生観を問いかける活動でもある。医師や薬剤師、介護、福祉系の専門家と、地域住民というさまざまな立場の人々が目指す「安らかな看取り」を考える。

*2017年2月認証。有効期間は5年。認定NPOになると寄付金について税制上の優遇措置が受けられる。当初3年間はNPOだった。

地域でおばあちゃんを支える仕組みがあれば・・・

 "新田の風"理事長の井益雄氏は、上田の開業医である。もともとは佐久総合病院の勤務医で、1980年代後半という早い時期に、当時の院長・若月俊一氏から在宅医療の仕組みを作れとの命を受け、佐久地域における24時間365日在宅医療体制の確立に力を注いだ。通院困難な退院患者宅へは定期的に訪問し、急病時には緊急往診体制を敷いた。若月氏との共著で『高齢化社会の在宅ケア―佐久総合病院の実践』 (岩波ブックレット) を世に問うたのは1991年のことだ。

 開業後も、上田で在宅患者を受けいれる数少ない医師として訪問診療に奔走してきた。在宅医療の先駆者とも言える同氏は、「30年前、在宅を始めたころは、嫁が姑、舅を介護するのが定番だった。ところが近年は、家中を見回しても介護できる人がいない」と語る。独居世帯や老々世帯が増え、たとえ家族と同居していても、皆、仕事で手が回らないのだ。このため、家で暮らしたい多くの患者が入院の継続を強いられ、あるいは退院できずに転院を繰り返している。同氏は、退院したがる独居のおばあさんを説得したため、ついに自宅に返してあげられなかった痛恨の経験を振り返る。弱った体に一人暮らしは厳しく、薬の管理も難しい。身寄りはおらず、頼れそうな人もいない。地域でおばあちゃんを支える仕組みさえあれば、長年住み慣れた自分の家で最期を迎えさせることができたのに。この後悔は、氏の後の活動につながっていくものだった。

"みんなで順番に支え合おう"という仕組み作り

 医療や福祉が全力を尽くし、介護保険を最大限に使っても、独居の高齢者が望む最後の日々を提供することはできない。一方、家族や身内だけで対応しようとしても、それは不可能だ。日々の診療でこれらの点を痛感した井氏は、一人行き詰まり、絶望する日々を重ねていた。しかし、まさに足下から光明が見えてきた!

 "新田の風"発足の経緯は関連記事に記したが、居住する新田地区の自治会における井氏と飯島康典氏の偶然の出会いが、地域の要介護者や認知症患者を住民が支える取り組みを生み出し、NPO設立に結実したのだ。井氏は、「一人ではどうにもならなかったものが、住民パワーを活用すれば何とかなると思えてきた」と語る。

 地域の住民をどうやって他人の介護に駆り出すのか。それは、仲間づくりを繰り返すことだという。東日本大震災で"絆"の意義が認識されたが、実は絆を作るきっかけがないのだという。みんなでワイワイ活動をしていれば、誰かが弱ったりボケてしまっても、自然に「○○さんを支えるチームを作ろう」となる。個人情報が絡むので、医師や薬剤師、ケアマネなどの専門家に入ってもらい、住民は買い物、送迎、洗濯、掃除、ゴミ出しなどを分担する。そして、自分の番がきたら、そのときは気兼ねなく支援をお願いする、という形だ。

 これは、子どもたちが自立し妻と2人暮らしの井氏にとっても「実は人ごとではない」。地域のみんなで順番に支え合う仕組みを作っておかないと、どこかの施設で不本意に死んでいくしかないだろうと言うのだ。

医師も患者も家族も死を考えてこなかった

 もう1点、井氏は「今の日本人に一番欠けているのは死の認識だ」と強調する。1957年、同氏の祖父が亡くなる日の朝、家長は「もうそろそろだな」と言い、葬儀の用意を始めたという。当時は死が人々の身近にあり、ズブの素人でもその気配が感じ取れたのだ。

 一方、現代の高齢者の多くはピンピンコロリを望んでいる。しかし、いざコロリが起こると救急車が呼ばれ、心臓マッサージが始まり、意識は戻らないのに心臓が動き出す。結局、脳死状態で人工呼吸器によって生かされているといった例も少なくない。死と直面するのを怖れるあまり救急車を呼んでしまい、しっかり看取るべき命に不毛な苦痛を強い、莫大な医療費を浪費する、そんな場面が多すぎるという。

 井氏自身も、これまで何度も「これは医療じゃない!」「本来はやっちゃいけないことだ」という場面を経験してきた。救って幸せなのか、地獄へ突き落としているのか分からない状況だったという。不毛な延命が山ほどあるのに、医師は一番楽な"取りあえず助ける"を選んでしまう。医療者も患者も家族も死を学ばず、考えず、覚悟を持ってこなかったためである。

 この問題についても同氏は、医学・医療に頼るのをやめた。解決策は市民の意識改革だと考えたのだ。自分の最期は自分で決めよう。誰かに委ねるのはもうやめにしよう。"新田の風"がこの思いを具体化したものが、"いのちの選択"カードと"人生のしまい方"だ。

エンディングノート・"人生のしまい方"

 "いのちの選択"は、1.病名・病状の告知、2.余命の告知、3.終末期の医療、4.終末期に望む生命維持処置、5.最後はどこで迎えたいか、に関する意思を記入し、本人と家族が署名するカードである。ポイントは、お薬手帳に挟み込めるサイズであることだ。井氏は、「救急車を呼ぶと、健康保険証とお薬手帳を用意してと言われる。お薬手帳に"いのちの選択"が貼付されていれば延命措置で迷うことがなくなり、当直医も喜ぶはずだ」とする。カードには、「健康状態等により考え方が変った場合は新しいものを添付しましょう」と、意思表示が何度でも変えられる点が記されている。

"人生のしまい方"は、A4サイズのクリアポケットを綴じ込んだバインダー(図1)。1.生年月日や出生地などの自分情報、2.既往歴などの健康記録、3.介護、4.終末期医療、5.葬儀・お墓・法事、6.遺言、7.相続、8.相続税、9.財産、10.自動引き落とし先、11.保管場所などについて、自分の意思や情報を書き込むエンディング・ノートだ。"はじめに"では、「そのとき」がいつ訪れるか誰にも分からない点、認知症になって自分の意思が伝えられないときが来るかもしれない点から、きちんと自分の思いを形にしておこうと呼びかけている(図2)。空のクリアポケットには思い出の写真や手紙、書類などを入れられるし、ケアマネや僧侶、司法書士のコラムも載っている。CD-R版も同封されていて、市民に500円で販売されている。

図1.写真・エンディング・ノート"人生のしまい方"
図2."人生のしまい方"の「はじめに」

医師も患者も家族も死を考えてこなかった

 では、こうした活動の成果は出ているのか。今年1月発行の"人生のしまい方"は好評だが、住民間の会話は日常的な内容に留まり、人生観や死生観に及ぶことはまれだという。井氏は率直に「まだ、死は他人事の人が多い」と語る。独居の高齢者を念頭に作った"いのちの選択"や"人生のしまい方"だが、大病をした中年患者で手応えがあるという。人生を振り返り、死を考えるのには、いいツールなのかもしれない。

 一方、"新田の風"が2014年に誘致した小規模多機能居宅介護施設、新田の家(図3)では、井氏の患者が5人死んでいる。2人はデイサービスで入浴、食事をし、昼寝をしていて亡くなった。3人は"新田の風"に通いながら、自宅で眠ったまま息を引き取った。

 1例目の90代の認知症のおばあちゃんのとき、新田の家のスタッフは泣きそうな顔で「救急車を呼ぶべきだったんでしょうか」と尋ね、井氏は「私を呼んでくれてよかった」と答えた。家族は「いい顔をしている」と喜んだし、住民も「あんな亡くなり方、いいよね」と言ったが、救急車を呼べばこんな死に方はできない。「安らかな看取りでは、そこまで見据え、腹を括る必要がある」。そして、こうした形で知人の死を体験することが、自分の死を考える一番の教育になるという。

 井氏は、高齢者の在宅での医療・介護・看取りに、国や行政でなく地域住民が主体となって取り組む"新田の風"の活動に確信を感じている。「みんなでやれば何とかなる」と、この風を全国に吹かせたいと述べた。

図3.写真・小規模多機能居宅介護施設、新田の家
  • Facebookでシェアする
  • Medical Tribune公式X Xでシェアする
  • Lineでシェアする