朝陽の中で微笑んで

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「お産のできない島」として有名に

「島で産みたい、家族のそばで過ごしていたい。でも産婦人科医はいない。どうしたらいいの?」

 ここ隠岐は「お産のできない島」として、約10年前に大々的に報道されたことがあります。全国的な産科医不足のうえ、初期臨床研修制度の変更に伴って地域から大学医局への医師引き上げのあおりを受け、お隣隠岐の島にある隠岐病院の常勤産科医師がいなくなったからです。

 しかし隠岐島前では、30年前からお産はできなかったのです。開業の助産師さんが高齢により閉業したためでした。健診でさえも、妊娠5カ月までは月1回、その後月2回も本土の産婦人科に通わなければならず、身体的にも経済的にも相当な負担がかかります。1995年(平成7年)には地元保健所で月1回妊婦健診を開始し、1997年(平成9年)には大学の協力を得て月2回の定期産科健診体制を整えました。2009年(平成21年)には、自治体からの健診費用の助成、出産準備金の支給などが始まり、島ではかなり手厚く子育て支援をしてくれています。

 いざお産となると島前では取り扱わないため、妊娠37週目に入る頃、妊婦さんは出産予定病院の近くに短期移住しなければなりません。私などは本土に実家があり里帰り出産で楽をしましたが、親せきなどもない場合どこに住むかは大問題。最近では松江市内の契約ホテルの場合は1泊自己負担1,000円で、キッチン付きの部屋を借りることができるようになっています。それでも初産ならともかく、幼い上の子を連れて、家族の支えもない中でのお産は大変です。

 お隣の島後はというと、報道から10年、いろいろな方の厚意に支えられ、現在では隠岐病院は産科医2人体制となりました。そのうち1人は漫画「コウノドリ」の離島産科医のモデルにもなった加藤一朗医師で、 奥様の真紀子助産師とともに隠岐のお産を支えています 。隠岐病院での産婦人科再開直後、島のお産は「経産婦、合併症なし」など厳しく制限されていましたが、現在では隠岐病院の院内助産施設も稼働して初産から取り扱ってもらえるようになり、島前から移動してのお産も増えています。

白石 吉彦(しらいし よしひこ)
 離島総合医。1992年に自治医科大学卒業後、徳島で研修、山間地のへき地医療を経験。1998年に島根県の隠岐諸島にある島前診療所(現隠岐島前病院)に赴任。2001年に同院院長。周囲のサテライトの診療所を含めて総合医の複数制、本土の医療機関との連携をとりながら、人口6,000人の隠岐島前地区の医療を支えている。
 2014年に第2回日本医師会赤ひげ大賞受賞。著書に『離島発 いますぐ使える!外来診療小ワザ離れワザ』(中山書店、2014)、『THE整形内科』(南山堂、2016.5、編集幹事)。

白石 裕子(しらいし ゆうこ)
 離島総合医。1994年に自治医科大学卒業。徳島県立中央病院、徳島大学病院小児科、徳島県立三好病院、西祖谷診療所勤務。1997年に第1子出産。1998年に島根県隠岐諸島・西ノ島の島前診療所に赴任、西ノ島町立浦郷診療所長兼務。2001年に第2子出産。2003年に島根県立中央病院にて後期ローテート研修。2004年に隠岐島前病院に再度赴任、浦郷診療所長を兼務、第3子出産。知夫診療所へ週1回派遣。2006年に第4子出産。2010年に隠岐島前病院小児科長、西ノ島町内の学校医、園医、乳児〜就学時、5歳児健診、予防接種など小児科業務と総合内科、診療所業務、病院業務などを行う。
 2015年に自治医科大学地域医療学教室学外講師地域担当。2015年に第2回やぶ医者大賞受賞(兵庫県養父市)。

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