49歳で米国の病理研修医に転身!

挑戦を続けていれば、思わぬところで幸運の扉は開かれる

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感染症ビジョナリーズ 感染症ビジョナリーズ
〔編集部より〕米国留学後、そのまま米国で医療に従事する医師のキャリアはさまざまです。今回は、国立がん研究センターで病理医として18年間勤務したのちに、50歳を過ぎて米国の病理研修医に転身されたという中西幸浩氏の半生を紹介します。今回はご本人によるご寄稿に加えて、インタビューによる質疑応答、さらに動画によるメッセージのご紹介と盛りだくさんの内容になっています。ぜひご一読ください。

 医師のキャリアパスもさまざまで、どのようなキャリアパスを取るかは皆さん次第です。挑戦を続けていれば、思わぬところで夢の扉が開かれるかもしれません。私の場合は、米・University of California, Los Angeles(UCLA)への留学が医師としてのキャリアパスの大きな変換点になりました。

 私は、現在、米・フロリダ州のTampaにあるがんセンターで消化器病理指導医として働いています。生検および手術検体の診断業務に加えて、病院内でのカンファレンス、病理レジデントおよびフェローの教育や学会活動および論文執筆などの学問的活動にも従事しています。

 今でこそ、米国で医師としての仕事がかなり板に付いてきたと感じていますが、群馬県で生まれ育ち、群馬大学医学部を卒業した私が、将来米国で医師として働くことになるとは医学生の頃は夢にも思っておりませんでした。良い意味で夢にも思っていなかったことが現実に起こり、今こうして夢にも思っていなかった現実を生きていることは、私にとってはとても幸運でexcitingな人生を送れていると感じています。まだしばらく仕事を続ける予定ですが、今までの人生に全く思い残すことはありません。では、なぜ群馬で生まれ育った私が、米国で医師として働くことになったのか、そして、その過程でどのようなことを体験して感じてきたのかを紹介しようと思います。

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