OTCの棚に並べていた、ロキソニンSの最後の1個が売れた。 「最近、よく売れてますね、ロキソニン。なんでですか?」奥から残りの在庫を持ってきて並べ直す私に、事務員のFさんが尋ねる。 「そういえば...なんでだろう」私も首をかしげる。 「あれのお陰じゃないですか?」 薬剤師のA子さんが店舗の窓から外を指差すのを見て、私とFさんは声を上げた。 「あっ、あれか!」「そうですよ! きっとあれです!」 一週間ほど前のこと。エリア長で薬剤師のKさんがOTCの販促用グッズを持ってやってきた。 「こういうの、どんどん使ってくださいよ。この旗も、目立つところに立てて...」店内用POPや外に飾るのぼり旗などをカウンターの上に広げながら、管理薬剤師のEさんに言う。 「...旗竿は?」腕組みしたまま微妙な表情で旗を見つめていたEさんが、Kさんに尋ねた。 「えっ?」 「あと、旗竿を立てる土台もないです。両方とも先月からお願いしてあったはずですけど」 うちの店舗は開局して1年ほどしか経っておらず、意外なところで備品がそろっていなかった。 「あれ? 俺、持ってきませんでしたっけ?」きょろきょろするKさんと一緒に私も店内を見回したが、それらしいものは見当たらない。 「ないですよ。あんなかさばるものを持ってたら、入ってきた瞬間にわかりますよ」やや呆(あき)れ気味にEさんが答えた。 「じゃあ、先週来た時だったかな? どこかにしまってないですか?」 「うち倉庫が狭いから、あったらわかりますって」 「他の店舗と間違えたのかな...」そそくさと帰って行ったKさんだったが、翌日には早速、旗竿と土台を持ってきてくれた。 「どれにしようか?」 リアップ、ガスター、ロキソニン、と、Eさんがのぼり旗をカウンターに並べる。 「これがいいです!」A子さんが迷いなく、その旗を手にとった。EさんもKさんも、もちろん私も賛成だった。 ポリタンクに水を入れるタイプの土台に水道水を入れ、旗竿にのぼり旗を通して立てる。薬局の面している道路からよく見えて、通行人の邪魔にならない場所を選んで設置した。白地に青くロゴを染めた『ロキソニンS』ののぼり旗が、その日から私たちの薬局の前に立つことになった。 Kさんが持ってきてくれた店内用のPOPやロキソニンテープの空箱も、手が空いた時にみんなで組み立てて薬局内に飾った。その効果なのか、患者さんから「ロキソニンください」「湿布のロキソニンもあるんですか?」と聞かれることも増えた。透明のプラスチック板にロキソニンテープの普通サイズとLサイズを実物大にプリントした資材も用意されていて、腰痛の方に「これくらいの大きさなので」とLサイズをおすすめできた事例もあった。 POPや旗は、薬剤師にとっては売りやすく、患者さんにとっては買いやすい状況を作ってくれたようで、なんだか私は嬉しかった。それは、単純に薬を売って利益を上げたい、薬剤師の仕事をアピールしたい、というだけではなかった。せっかく「薬剤師でなければ売れない」薬があるのだから、それをきっかけに、「薬は薬剤師もしくは登録販売者に相談するもの」という方向を確立していけたら。薬剤師がOTCの販売に積極的に関わることで、薬の適正使用や適切なセルフケア、地域の健康にもつながるのではないかーー。 だが、管理薬剤師のEさんの肝入りでロキソニンの他にもエッセンシャルOTCと言われる品を40種類ほど揃えているが、なかなか売れていない。OTCの棚が投薬カウンターの後ろで、患者さんの手が届かないせいもあるかもしれない。結局、その日もロキソニンSが1箱売れただけで閉局時間になってしまった。 <div style=" border: 1px dashed #ddd; padding: 5px; background: #d5e3ff; margin: 20px 10px;"> みんなが帰った後、薬局の戸締まりをしながら考えた。 ロキソニンが必要なら病院へ行かなくても買える。子供が熱を出した時に、診察終了間際の小児科へかけこまなくても小児用バファリンチュアブルが手に入る。ちょっとしたものもらい程度なら、眼科で目薬をもらわなくてもロート抗菌目薬で対応出来る。花粉症真っ盛りの時期に、大混雑の耳鼻科へ行かなくてもアレグラFXが買える。 どうすれば、それを一般の人々に伝えることができるのだろう。 のぼり旗1本立てただけで、できることではない。病院を受診して薬をもらった方が安くてお得だ、という意識を覆すのも並大抵ではない。旗やPOPでそれらが変わるだなんて、そんな夢物語はない。 それでも......。 ーーこれはただの宣伝ではない。 すっかり日が落ちた薬局の前に立つロキソニンSの旗を見て、私は思った。旗に書かれているのはロキソニンだが、アピールしているのはロキソニンだけではない。そこに薬剤師がいる、ということ。処方せんを持ってきた患者さんだけを相手にするのではないこと。 ここに、あなたの役に立つ薬があります。 病院へ行かなくても、あなたが欲しいと思っているのと同じ効果の薬がここで手に入ります。 しかも、自己判断でなんとなく「これが効くんじゃないかな?」という憶測ではなく、専門家である薬剤師が見立てて、正しく使うための説明をきちんとして売りますーー。 一般消費者の相談に乗り、OTC薬を適切に販売することでセルフケアと地域の健康をサポートする。OTCの旗を掲げることは、そんな薬剤師がここにいるぞ、という宣言なのだーー。 「...って、これ片付けとかなきゃダメじゃん!」 夜間に持ち去られたりする可能性もあるので、閉店時には必ず旗は店内にしまうように、とKさんに言われていたのをすっかり忘れていた。私は再び薬局の鍵を開け、土台から引き抜いたロキソニンの旗を、にわか雨にあった洗濯物みたいに慌てて店内に取り込んだ。 <div style=" border: 1px dashed #ddd; padding: 5px; background: #d5e3ff; margin: 20px 10px;"> <div style="border: 1px dashed #ffd990; padding: 5px; background: #fff3dc; margin: 20px 10px;"> 【コラムコンセプト】仕事に家事に育児と、目まぐるしい日々を送る母親薬剤師。新薬や疾病の勉強もしなきゃいけないが、家のことだっておろそかにできない。追い立てられるように慌ただしい毎日だ。そんな中で、ふと立ち止まり、考える。「働く母親って、どうしてこんなにいろんなものを抱え込んでしまっているんだろう?」「薬剤師の業務って、どうしてこんなふうなんだろう?」忙しさに紛れて気付けずにいる感情に気付いたら、働く母親に見える景色はきっといくらか変わるだろう。日常の業務に埋もれたままの何かを言葉にできたなら、薬剤師を取り巻く世界も少しずつ変えていけるだろうか。 【へたれ薬剤師Kiko プロフィール】卒後9年間病院勤務ののち、結婚を機に夫の地元で調剤薬局に転職。産休育休を経て、現在は中規模チェーン薬局にフルタイムで勤務。アラフォー。8歳の息子、夫(not薬剤師)と3人暮らし。食事は手抜き。洗濯は週3回。掃除はルンバにおまかせ。どういうわけだか「コトバ」に異様にこだわる。座右の銘は「モノも言いようで門松が立つ」。(Twitter:@hetareyakiko)