おおきくなったら何になる?

  • Facebookでシェアする
  • Medical Tribune公式X Xでシェアする
  • Lineでシェアする
感染症ビジョナリーズ 感染症ビジョナリーズ

その日の夕方、珍(めずら)しく薬局はすいていた。のんびり錠剤(じょうざい)の補充(ほじゅう)をしていると、事務員(じむいん)のFさんが呼(よ)びに来た。

「kikoさん、調剤室(ちょうざいしつ)の中を見たいってお子さんがいらっしゃるんですが...」待合室(まちあいしつ)に行ってみると、さっき薬を渡し終えた、小学校低学年くらいの男の子と母親らしき女性がいた。ちょっとやんちゃそうな雰囲気(ふんいき)の男の子を、お母さんが薬の入ったレジ袋(ぶくろ)を手にしたまま後ろから抱(だ)きかかえるようにしてソファに座(すわ)っている。その仕草(しぐさ)が「こらっ!ウロチョロしたらダメ!」としょっちゅう言い聞かせている様子を彷彿(ほうふつ)とさせた、というのは考えすぎだろうか...。

「ごめんなさいね、この中はスタッフ以外は入れないんですよ」申し訳なく答える私に、お母さんの方も申し訳なさげに頭を下げた。

「やっぱりそうですよね、すみません。この子、薬剤師(やくざいし)になりたいって言い出して...ほら、どうやったらなれますかって聞いてみたら?」ところが、お母さんにうながされた男の子は急に恥(は)ずかしくなったのか「ええ~?」と母親の膝(ひざ)の上でモジモジしている。

だが、私の方も、いきなりの問いかけに答えに窮(きゅう)してしまった。

「ええと、そうですねえ...」

薬剤師(やくざいし)になって20ウン年。薬学部は6年制になり、新設校(しんせつこう)も増えて、私の時代とはあまりにも状況(じょうきょう)が変わってしまっている。うちの子供が受けるとしてもまだ先の話で、受験事情(じじょう)にはすっかり疎(うと)くなってしまっていた。しかし、ここはひとつ、憧(あこが)れの職業(しょくぎょう)という立場から何か指針(ししん)になることを言ってあげたい、のだが...。

「...やっぱり、お父さんお母さんや先生の言うことをよく聞いて、学校の勉強もきちんと頑張(がんば)るのが大事じゃないかな?」苦し紛(まぎ)れに口から出てきたのは、そんなありきたりのセリフだった。

ほら〜、ね? やっぱりそうでしょ?」膝(ひざ)の上に我(わ)が子に向かってお母さんが言った。

それを見た瞬間(しゅんかん)「しまった...」と思った。こんなのは、やんちゃな子供が大人の言うことをちゃんと聞いて、良い子になってもらいたいという「大人の理屈(りくつ)」だ。薬剤師(やくざいし)になるにはどうしたらいいか、という疑問(ぎもん)に対する答えではない。

せっかく薬剤師(やくざいし)に興味(きょうみ)を抱(いだ)いてくれたのにーー

「あ、そうだ」帰ろうとする母と子に、慌(あわ)てて声をかける。「うちの店舗(てんぽ)じゃないんですけど、こういうイベントがあるんです」来月、他の店舗(てんぽ)で『こども薬剤師(やくざいし)体験』を開く予定で、宣伝(せんでん)チラシが届(とど)いていたのだ。

わー!薬剤師(やくざいし)になれるのー!やったー!!

「定員があるので、たぶん抽選(ちゅうせん)になると思うんですけど、もしよかったら申し込(こ)んでみてください」

チラシを手にした親子が薬局を出てからも、私の中にはもやもやしたものが残っていた。

dots.jpg

「ちゃんと勉強して、教師(きょうし)や親のいうことをよく聞いて」随分(ずいぶん)と『大人に都合のいいこと』を言ってしまったものだ。自分の答えがどうにも気に食わなかった。

どうしたら薬剤師(やくざいし)になれるのか?それは、「薬剤師(やくざいし)になるには、何が必要なのか」という問いでもある。その答えは、到底(とうてい)ひとことで答えられないし、人によっても答えは変わるだろう。だが私が答えるとしたら、それはやはり「薬剤師(やくざいし)として使える『言葉』を持つこと」だろうか。

正しく安全に薬を使ってもらうために、誤解(ごかい)のないよう分かりやすく伝える言葉。

薬の作用機序(きじょ)や疾患概念(しっかんがいねん)を、専門知識(せんもんちしき)のない患者(かんじゃ)さんでも腑(ふ)に落ちるような説明ができる言葉。

あるいは、患者(かんじゃ)さん自身が、自分の中の疑問(ぎもん)や不安に気づけるための言葉。

病気に対して向き合って生きる、あるいは心身の不調にとらわれ過(す)ぎてしまわないための言葉。

それは、医学的妥当性(だとうせい)やガイドライン通りのものとは限(かぎ)らない。患者(かんじゃ)さんの性格(せいかく)や、経済的状況(けいざいてきじょうきょう)、人生観などに合わせて変わるはずだ。

だが、言葉とは言っても、舌先三寸(したさきさんずん)で言いくるめたり、ごまかしたりするのであってはならない。古い知識(ちしき)や思い込(こ)みだけでは適切(てきせつ)な情報提供(じょうほうていきょう)はできない。薬学的知識を日々、更新(こうしん)していくことが必要だ。さっきの私が、薬学部の受験事情を知らなかったせいで、ありきたりなセリフでごまかしてしまったのと同じことになる。

患者さんとくすりを正しく繋(つな)ぐ『言葉』を探(さが)し、作ることーー

dots.jpg

「てなことを考えたんだけどね」夕食の片付(かたづ)けをしながら、その日の出来事を私は夫に語った。

「ふ~ん。けど、『どうすれば薬剤師(やくざいし)になれますか』って聞いてきた子に、言葉がどうのって話をしてもピンとこないんじゃないかなあ」

「まあ、そうだよね。大人だってポカーンとしちゃうよね」

何か人とは違(ちが)うことを言ってやりたい、とばかり考えていた自分に気づかされた。「いいこと言ってやった!」という自己満足(じこまんぞく)を得(え)るために患者(かんじゃ)さんはいるのではない。言いたいことを言うのと、言うべきこと、伝えるべきことを伝えるのとは違(ちが)う。

だがそれとは別に、やはり薬剤師(やくざいし)として患者(かんじゃ)さんと薬をうまく繋(つな)げるための言葉を私は考え続けたいーー

「ごちそうさまー!」夕食を食べ終えて、台所へ食器を下げに来た息子に私は聞いてみた。「ねえ、大きくなったら何になりたい?」

「ん~とね、ユーチューバー!」

私の質問(しつもん)にそう答え、息子は綺麗(きれい)に平らげた食器だけを残してリビングへ向かうと、iPadのパスワードロックを外してYouTubeでドラクエ最新作の実況(じっきょう)プレイ動画を見始めたのだった。

kiko1708_449474.jpg

【コラムコンセプト】
仕事に家事に育児と、目まぐるしい日々を送る母親薬剤師。新薬や疾病の勉強もしなきゃいけないが、家のことだっておろそかにできない。追い立てられるように慌ただしい毎日だ。そんな中で、ふと立ち止まり、考える。「働く母親って、どうしてこんなにいろんなものを抱え込んでしまっているんだろう?」「薬剤師の業務って、どうしてこんなふうなんだろう?」忙しさに紛れて気付けずにいる感情に気付いたら、働く母親に見える景色はきっといくらか変わるだろう。日常の業務に埋もれたままの何かを言葉にできたなら、薬剤師を取り巻く世界も少しずつ変えていけるだろうか。

【へたれ薬剤師Kiko プロフィール】Hetare_kiko_columm.png卒後9年間病院勤務ののち、結婚を機に夫の地元で調剤薬局に転職。産休育休を経て、現在は中規模チェーン薬局にフルタイムで勤務。アラフォー。8歳の息子、夫(not薬剤師)と3人暮らし。食事は手抜き。洗濯は週3回。掃除はルンバにおまかせ。どういうわけだか「コトバ」に異様にこだわる。座右の銘は「モノも言いようで門松が立つ」。(Twitter:@hetareyakiko)

  • Facebookでシェアする
  • Medical Tribune公式X Xでシェアする
  • Lineでシェアする