1999年:「縛らぬ医療」の黎明

平成11年5月13日号

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感染症ビジョナリーズ 感染症ビジョナリーズ

新聞キャプチャ

 1999(平成11)年5月13日発行のMedical Tribune紙は、抑制廃止研究会の世話役を務める有吉病院(福岡県)理事長の有吉通泰氏へのインタビュー記事を掲載しています。

パイオニア上川病院に学ぶ

 当時、病院や介護施設では、高齢者をベッドや車椅子に縛り付ける身体抑制(身体拘束)が広く行われていました。高齢者が点滴のチューブを抜くなど医療行為の妨げをする、転倒の恐れがある、迷惑行為をする―などが理由で、好ましいことではありませんが「必要悪」と認識されていました。必要最低限の範囲で行う良心的な施設もありましたが、常態化してしまっている施設も少なくなかったようです。

 このような慣習に異を唱えたのが抑制廃止研究会です。母体となったのは、福岡県の介護療養型医療施設の集まり。療養型病床にふさわしいケアの質を追求する中で、身体抑制の問題に直面しました。ただし、当初の認識は甘く、有吉氏はインタビューに答えて「縛らなかったための事故やトラブルを考えると、このケースは仕方ないと判断しがちだった」と述べています。

 認識を一変させたのは「縛らぬ医療」のパイオニア、上川病院(東京都八王子市)の取り組みを知ったことでした。同院では、身体抑制を回避するための工夫を徹底して行っていました。ベッドからの転倒にはマットや畳を敷く、点滴は足にする、経鼻胃管は間欠的に行う...これらを実践することで身体抑制を限りなくゼロにしていたのです。有吉氏らも上川病院にならって身体抑制をなくす取り組みを始め、互いの事例を報告し合いました。

現在に受け継がれる「福岡宣言」の精神

 有吉氏らの活動は、1998年10月30日の「抑制廃止福岡宣言」に結実します。「老人に、自由と誇りと安らぎを」をキャッチフレーズに、①縛る、抑制をやめることを決意し、実行する、②抑制とは何かを考える、③継続するために、院内を公開する、④抑制を限りなくゼロに近づける、⑤抑制廃止運動を、全国に広げていく―の5箇条を掲げ、身体抑制廃止の決意を示しています。

 宣言の時点では、抑制廃止研究会のメンバーは福岡県の10施設でしたが、半年経過した記事の時点(1999年)では、賛同する施設が九州全域に拡大し、翌2000年3月には全国抑制廃止研究会が発足しました。時あたかも公的介護保険が施行されるタイミング。同研究会が急拡大した背景には、身体抑制を人権侵害と捉え、介護保険施設においては「原則禁止」とされたことがあったようです。なお、「原則禁止」の内容はその後具体化され、現在では「切迫性」「非代替性」「一時性」の3要件を厳格に満たしている場合に限り、身体抑制が認められています。

 「宣言」から25年たった今、身体抑制は減ったのでしょうか。幾つかの調査結果が発表されています。例えば、滋賀県が県内の介護保険施設・事業所を対象に行った調査では、過去1年間に身体抑制を行った事例がゼロだったと回答した事業所の割合は2003年には17.7%にすぎませんでしたが、2020年には83.9%に増えています。長崎県において身体抑制を行っている介護施設は、2003年の40.1%から2019年には10.0%まで減少しています。「宣言」の精神は脈々と受け継がれているようです。

「Medical Tribuneが報じた昭和・平成」企画班

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