1956年5月1日に新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場附属病院から熊本県水俣市保健所に原因不明の奇病が報告され、これが水俣病の発見とされる。公害としての水俣病を忘れない日にと2006年に5月1日を水俣病啓発の日とし、日本記念日協会が認定した。水俣病はチッソ水俣工場のメチル水銀化合物が、新潟水俣病は昭和電工のメチル水銀化合物が中毒発生の基盤であるとの政府統一見解が1968年に発表され、原因となったアセトアルデヒドの製造をチッソが中止したのは水俣病が発見されてから12年後であった。