上田ではなぜ、薬局の質を担保できるのか

上田薬剤師会会長の飯島康典氏に聞く

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 シリーズ第1回では、疑義照会を切り口に、上田における医師と薬剤師の関係を考察した。

 上田では、「地域の全医療機関の処方箋を、薬剤師会会員薬局すべてで受ける」決意が、医療人としての立ち位置を明確にし医師との関係性を変えた点、それが疑義照会をスムーズにした点が見えてきた。薬剤師会がそこに責任をもつ以上、会員薬局の質の担保が必須となるが、上田薬剤師会は個別の薬局、薬剤師に対してどんな取り組みを行っているのだろうか。

 「地域の全医療機関の処方箋を、薬剤師会会員薬局すべてで受ける」。そう宣言する上田薬剤師会は、まるで地域ドミナントの薬剤師会チェーン薬局のようだ。なぜ、そこまでの求心力を獲得できたのか。質の担保はどう行っているのか。この疑問を飯島氏にぶつけた。

上田の薬剤師は情報強者

 上田では日常的な情報提供・共有が徹底されている。地域医療機関の開業情報や薬の使い方、会員薬局の新規在庫やデッド在庫等を掲載したタイムFAXを1990年より678号配信、後継の"薬局部からのお知らせ"も40号を数えた(表1)。2009年からはUJIと称するニュースファイルが毎日、電子メールで配信されている。一般紙や医師向け媒体から選ばれた医学・薬学記事や厚生行政の記事が共有されるのだ。ときに患者対応や薬局運営に役立つ興味深い記事も含まれている。

 これほどの量の情報を全員が消化できるわけはないが、飯島氏いわく「読む、読まないは自由だが、見出しを眺めているだけでも時代の動向、薬剤師に求められる立ち位置が自然に見えてくる」。厚生行政の情報は通常、日薬、県薬を経て地域薬剤師会に伝えられるが、1週間ほどの遅れが生じる。情報は生もので鮮度が重要。また、情報格差があると対等な議論はできないという点から、情報共有を重視するのが上田の考え方だ。

 薬剤師会の各部会が仕切る学術研修活動も盛んだ。調剤事例研究会は1974年から続いており、通算469回を数えた。1980年からは地域薬剤師会レベルでは珍しい学術大会を催しており、38回と回を重ねている。学術研究面でも精進を怠らない姿勢の現れである。

 毎年秋には、新任薬剤師研修会が開かれる。上田で働き始めた新任会員は年齢や経験にかかわらず参加し、会の歴史や薬剤師の課題などを学習する。まさに、「上田の薬剤師は上田で育てる」取り組みと言えるだろう。

上田は一日にして成らず

 上田の取り組みにはどれも長い歴史と相当の苦労があり、"飯島氏という強烈なカリスマ"ゆえの上田薬剤師会という捉え方は一面的であることが分かった。上田を有名にした医薬分業も、実は、飯島氏らの先輩が営々と積み重ねた試行錯誤の成果なのである。

 医薬分業関連法が施行され、処方箋調剤が最初に注目されたのは1956年。60年以上前の話で、当時は医薬分業の理解が乏しく院内調剤が当たり前だったが、上田薬剤師会は銀行からの借り入れを断行。備蓄医薬品の共同購入を行ったという。結局、処方箋発行はふるわず、備蓄品の大半は廃棄されたのだが。

 とはいえ、会員には「受け入れのための体制を整備すれば、必ず処方箋は発行される」との信念が生まれ、会全体でこれを追求した。結果、1956年に977枚だった受取処方箋は、64年に45,385枚まで伸長、日本薬剤師会の処方箋調剤のモデル地区に選ばれた。

 その後も、ブランチ薬局(希少医薬品の備蓄拠点薬局)の整備や分包機の共同購入などを行い、1974年には医師会の依頼を受け、調剤センターとして上田薬剤師会営上田調剤薬局を設立した。こうした努力の結果、この年の処方箋受取率は15%に届いたという。

 そして、現在の上田の処方箋受取数は年間約110万枚。処方箋受取率は85%で、全国平均の70%に比べかなり高いが、これは半世紀以上前からの継続的な努力のたまものなのである。

先進的事業への挑戦が薬剤師会を活性化

 上田薬剤師会の元会長、工藤義房氏は「私たちが一貫して目指したのは、薬剤師による地域社会への貢献です。『現状維持は後退のはじまり』を合言葉に、常に一歩前へと足を踏み出す努力を怠りませんでした」と語っている。会は医薬分業に留まらず、種々の先進的事業に取り組んだが、それも薬局の活性化と薬剤師の意識向上に結びついた。

 例えば、上田薬剤師会が薬歴記録業務を始めたのは1982年だが、これは薬歴管理に保険点数がつく4年も前の話である。最初の説明会では、「薬歴って何?」「手間がかかる」「点数もつかないのに」といった不満が相次いだ。そこで、全体集会で説明と議論を繰り返し、8割の会員の合意が得られた時点でスタートしたという。

 同様に、上田では1996年から24時間365日の処方箋対応を行っている。24時間対応の医療機関がある以上、24時間対応の薬局があることは当然である。医薬分業が進む中、安定した医薬品供給体制をつくることこそ薬剤師会による地域貢献だ、と考えたのだ。

 まず担当地区を4つに分け、輪番で当番薬局を決定。休日でも必ず、ブロック内の1薬局が医薬品供給を行うようにした。これが1993年から始まった休日当番薬局制度である。96年にスタートした夜間当番薬局制度では、午後7時から翌朝7時までを担当する当番薬局が電話を受け、調剤を行ったり、患者宅に近い調剤可能薬局を探したり、電話相談を受けたりしている。

TURNUP 2016,vol.28:4-9

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