1998年:死期を悟った凄絶なる会長講演

平成10年6月4日号

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感染症ビジョナリーズ 感染症ビジョナリーズ

新聞キャプチャ

 1998(平成10)年6月4日発行のMedical Tribune紙は、第42回日本リウマチ学会の模様を見開き2ページで報道しています。紙面の多くを薬物療法のワークショップに割いていますが、目に留まるのは「凄絶なる会長講演」という囲み記事ではないでしょうか。

死の床で執念のビデオ収録

 同学会の会長は、東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター名誉所長の柏崎禎夫氏。学会は1998年5月7~9日に開催されましたが、柏崎氏は半年前の1997年11月17日に逝去されていたのです。

 故人による会長講演―。それは死期を悟った柏崎氏が、ビデオ講演により行うことを強い意思で決めたものでした。撮影が終了したのは、亡くなる26日前の10月22日だったと記事は伝えています。死の床にあっても、学会員にぜひとも伝えたいメッセージがあったが故の、執念の収録だったのです。

「リウマチ科」が認められたことを「不幸」と言い放つ

 1998年当時、リウマチ診療には追い風が吹いていました。1996年に厚生省から「リウマチ科」が広告可能な標榜診療科として認められ、関節リウマチ(当時は「慢性関節リウマチ」でした)をはじめとするリウマチ性疾患の社会的認知度が高まっていたのです。しかし、柏崎氏は講演の中で「"受け皿"が不十分なまま、標榜科だけが先行したことは、わが国のリウマチ診療にとって、混乱と不幸になっているのではないか」と痛烈に言い放ったのです。「学会員よ、浮かれることなかれ」の思いだったのでしょう。リウマチ学とは何かを深く議論し、教育や診療体制を整備することを問題提起したのです。

 実は紹介している1998年の記事は、この小文を書いている編集子が25年前に取材し、まとめたものです。東京国際フォーラムの大会場に映写された柏崎氏は気迫にあふれ、リウマチ学への真摯な志と道半ばで退く無念がひしひしと伝わってきました。会場中から嗚咽が漏れていたことを覚えています。このような「凄絶」な講演は、二度と聞く機会がありません。

 同学会では、展示会場の一角に「柏崎禎夫会長の歩み」と題するコーナーが設けられ、故人を偲ぶ品々が展示されていました。特筆すべきは、遺族からの寄付金を基金として「柏崎リウマチ教育賞」が創設されたことでしょう。日本にリウマチ学を根付かせるために教育の充実を願った柏崎氏の遺志は、脈々と受け継がれていきました。

「Medical Tribuneが報じた昭和・平成」企画班

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