1973年:「インポテンツ」が医学用語だった時代 昭和48年12月20日号 参考になった 名の医師が参考になったと回答 記事をクリップ 記事をクリップして、あとでマイページから読むことができます Facebookでシェアする Xでシェアする Lineでシェアする 1973(昭和48)年12月20日発行のMedical Tribune紙は人気コーナー「SEX IN MEDICINE」で、当時既に性医学の第一人者であった東北大学泌尿器科学教授の白井將文氏の研究を紹介しています。研究の内容は、勃起障害が器質性か機能性かを鑑別する検査法を考案したというものですが、見出しに踊るのは「インポテンツ」の文字。インポテンツ(インポテンス)は当時、れっきとした医学用語だったのです。 白井氏らが中心となって「インポテンス研究会」が発足したのは、この記事の5年後の1978(昭和53)年。性機能を主要な研究テーマとする学術団体は、世界でも珍しかったようです。ちなみに、研究会誌も『IMPOTENCE』でした。 同研究会は1990(平成2)年に「日本インポテンス学会」に昇格。1995(平成7)年に「日本性機能学会」に名称変更しますが、「インポテンスは差別用語でよくない」という意見が多かったからだそうです。編集子は日本インポテンス学会時代に学術集会を取材した際、「一流ホテルは会場を貸してくれない」という学会関係者のぼやきを耳にしたことがあります。「人目につくところに、学会名を大書した看板を置かれては困る」というのが理由だったようです。 冒頭に紹介した研究とペアになる研究を別の号〔1973(昭和48)年10月12日号〕から。器質的インポテンツに対する効果的な治療がない中、白井氏が考案したシリコン製支柱を陰茎内に挿入する術式は、簡便で有効性が高く、安全だと記事は報じています。詳細は不明ですが、この術式は記事を通じてフランスに紹介されました。Medical Tribuneは世界の多くの国々で、それぞれの言語で発行される国際誌だったのです(日本版はそのうち、米国版とドイツ版から記事を転載していました)。 (「Medical Tribuneが報じた昭和・平成」企画班) 【日本性機能学会の最新記事】 体重増で「朝勃ち」頻度が低下 中高年の赤裸々な性の実態が浮き彫りに 日本人女性の陰毛処理に関する初の本格調査 参考になった 名の医師が参考になったと回答 記事をクリップ 記事をクリップして、あとでマイページから読むことができます Facebookでシェアする Xでシェアする Lineでシェアする ×