亀田総合病院 東洋医学診療科南澤 潔 氏 イラスト:吉泉ゆう子 目次 処方解説 本治に用いる漢方薬 標治に用いる漢方薬 漢方薬のアドヒアランス向上のために 連載を終えるにあたって~漢方医からのメッセージ~ 3◎処方解説3 1.本治に用いる漢方薬 ◆急性期の症例五苓散 茵蔯五苓散 猪苓湯 半夏瀉心湯類 イレウスの急性期は水毒の病態と捉え、五苓散(ごれいさん)や茵蔯五苓散(いんちんごれいさん)、猪苓湯(ちょれいとう)が奏効する場合があります。蠕動不穏がある病態で用いられる半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)類も用います。 ◆慢性期の症例桂枝加芍薬湯 桂枝加芍薬大黄湯 小建中湯 当帰建中湯 慢性期には腸管蠕動を正常化させると考えられる桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう)、桂枝加芍薬大黄湯(けいしかしゃくやくだいおうとう)、小建中湯(しょうけんちゅうとう)や当帰建中湯(とうきけんちゅうとう)が適応となるでしょう。 ◆サブイレウスの症例大承気湯 承気湯類 体力の充実した人のサブイレウス(亜イレウス:イレウスには至っていないが腹痛や腹部膨満が現れている病態)では、イレウス慢性期の処方の他に、大承気湯などの承気湯類を慎重に用いることがあります。 ◆腹が冷えて痛む症例大建中湯 広く普及している大建中湯(人参・山椒・乾姜(かんきょう)・膠飴(こうい))ですが、本来は腹部に非常に強い冷えがあり、そのため蠕動不穏と腹痛を起こしているときに用いるとされる薬で、現代のように栄養状態も生活環境も良い時代に、本来そうそう適応になる処方ではありません。 ところがよく考えてみると、腹部手術でお腹を開いて外気にさらし、機械的な操作を施された腸管は、浮腫や血流低下が起こり、昔の冷え切って腸の動きが悪くなった状態とほぼ同様なのかもしれません。また、腸が引きつれて慢性的な通過障害が起きているときも同様の可能性があります。そう考えれば、昔にはなかった病態ですが、イレウスへの大建中湯投与はある意味、本治的な正しい治療といえるかもしれません。 2.標治に用いる漢方薬 六君子湯 芍薬甘草湯 大建中湯 今では腹部手術の後、大建中湯が大きな箱ごと処方されることもあるようです。また六君子湯(りっくんしとう)や、腹痛時に芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)が病名的に処方されることもあるようです。前述のように大建中湯が術直後やサブイレウスなど、一時期には非常に適切な治療である可能性があります。 ただ、漢方の難しいところは、患者の病態や時期によって適切な方剤が時々刻々と変化することです。冷えて腸の動きが悪くなる腸管の麻痺状態に近いような時期には適切であっても、その後漫然と処方を続けることは感心できません。実際に、大建中湯を継続投与して微熱や寝汗、動悸などを訴えた例を、漢方の専門家が問題視する報告も見られます。筆者も、大建中湯を継続処方されていながらイレウスを起こし、適切な漢方処方に変更したところ改善したというケースを何例も経験しています。 漢方薬のアドヒアランス向上のために 漢方エキス製剤の誕生 本来の漢方薬は、生薬を自分で煎じてその湯液を飲むものでした。ところが日本ではおよそ60年前、インスタントコーヒーにヒントを得たという画期的な漢方エキス製剤が生まれました。日本の漢方製剤の品質は世界でも大変高い評価を得ているといわれています。医師免許が西洋医、東洋医と分かれている他国とは異なり、日本では広く日常臨床で漢方薬が使えますので、患者が漢方薬の効果を享受できる点で、世界で最も進んでいるといえましょう。 おいしく上手に飲むコツ ただ、残念ながら漢方薬は総じてあまりおいしくありません。量も多く、内服回数も1日3回が基本で、しかも食間投与が望ましいなど患者のアドヒアランスが得られにくいため、薬剤師の方には大変ご苦労をおかけしているかと思います。 飲みにくい場合、50mL程度のお湯に溶いて液体にしてもらった方が飲みやすいという声を聞きます。顆粒は口の中にいつまでも残って味がしてしまいますが、液体は一瞬で喉元を過ぎ去るということのようです。 乳児では、少量の水で練ってペースト状にして上顎に塗るとうまくいくことがあるようです。他のものに混ぜる場合、漢方専用の服薬ゼリーもあります。また、はちみつなどで甘みを付けると飲みやすかったり(1歳以上)、逆にココアやコーヒーのような苦いものと内服すると苦にならなくなる方もいらっしゃいます。ぜひご自分でもいろいろ試していただいて、より良い方法を患者さんにお伝えください。 連載を終えるにあたって~漢方医からのメッセージ~ これまで現代医学は「命を救う」ことを至上命題として発展してきました。その成果は目覚ましく、日本は世界でも有数の長寿国になりました。今や平均寿命が90歳に届かんとし、100歳以上の人口が7万人近くになりました。しかし、医療への信頼は過信となり、今や日本では人が必ず死を迎えること、出産が母体にとって命がけの大事業で、生まれた子供が無事その年齢まで成長できない場合も珍しくないから七五三を祝うなどのことをすっかり忘れています。 戦国時代、織田信長が「人間わずか五十年」と舞い歌ったことは知られていますが、それでは日本の平均寿命が50歳を超えたのはいつごろかご存じですか? 戦国時代?江戸時代?いえ、実は第二次世界大戦後の昭和22(1947)年ごろ、つまり今からほんの70年前なのです。この70年で平均寿命が30年以上も延びているんですね。当時生まれた人は人生50年のはずだったのが、いざ50年生きてみたらゴールはさらに30年も先に移動していたというわけです。 このように現代の医療の水準は、間違いなく史上最高レベルにあります。が、社会の医療に対する不信感は、私が医者になった数十年前より確実に増しているように思います。そのような中、漢方薬はQOLを高めるという点で、医療が全幅の信頼を取り戻す救世主になるのではないかと思っています。「漢方薬で治療をしてもらって、それまでつらいだけだった人生が様変わりしました! 」と言っていただけることがあります。医学的には些細な事象でも、我々医療者から想像もつかないほど患者さんのQOLが低下していることに驚かされます。 現代医学は命を救うことを主眼にしてきましたが、「漢方は人生を救ってくれました」と言われて、今、漢方が広く注目されている理由が少し分かった気がしました。薬剤師の方には、漢方薬の適応や服薬指導の複雑さが負担に感じられていることと思いますが、どうかこの医療のメリットが1人でも多くの患者さんと、病気を治せずに苦しんでいる善良な医療者に届けられるよう力を貸してください。 ◆執筆者◆ 南澤 潔 氏 医学博士日本東洋医学会 漢方専門医・指導医日本内科学会 総合内科専門医・指導医日本救急医学会 救急科専門医 【ご略歴】1991年 東北大学医学部 卒業1991年 武蔵野赤十字病院 研修医1993年 富山医科薬科大学(現 富山大学)和漢診療科1995年 諏訪中央病院 内科1996年 成田赤十字病院 内科1999年 麻生飯塚病院 漢方診療科2001年 富山大学 和漢診療科2006年 砺波総合病院 東洋医学科 部長2009年 亀田総合病院 東洋医学診療科 部長