最終回:医師が向き合う自分の「死」

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感染症ビジョナリーズ 感染症ビジョナリーズ

 私ががん医療の現場で働き始めたのは31歳のときであった。実は、それ以前は自分が死ぬことなどほとんど考えたことはなかった。それまで身を置いていた一般の精神科では、患者を看取る経験はあまりなかった。研修医時代にさまざまな疾患の患者を看取った経験はあるが、死は単なる疾患の結末としてしか捉えていなかったのかもしれない。治療に専念していたあまり患者の物語にまで着目する余裕がなかったからなのか、あるいはそれを言い訳にしていたのか、いずれにしても人生の文脈の中での死について、私は考えていなかった。そのころの私のように、多くの患者を看取っているにもかかわらず、真の意味での人の「死」を見据えないようにしている読者もいるのではないだろうか。しかし、がん医療の現場で精神腫瘍科医として働く上で患者のさまざまな物語に自然と触れる機会が増え、私の場合は人生の終わりとしての死を否応なしに意識することになった。そして、自分と同世代の人ががんにかかり、やがて亡くなっていく姿をたくさん見送る経験を重ねる中で、「自分にもいつ死が訪れてもおかしくない」と考えるようになった。

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