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「過剰診断」の深層を考える

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編集部・服部美咲の一押し記事
がん検診「過剰診断」がもたらす不利益
2025年11月18日掲載
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「無害ながん」まで発見する現代の検診技術

 「がんの早期発見・早期治療が命を救う」。私たちは長年このスローガンを疑うことなく信じてきた。自治体の検診や職場の人間ドックを欠かさず受けることが、健康管理の基本であるとされている。しかし、その常識の裏側には、見過ごされがちな重大なリスクが潜んでいることをご存じだろうか。

 元国立がん研究センター検診研究部部長であり、現在は青森県立中央病院顧問を務める斎藤博氏は、がん検診がもたらす不利益として「過剰診断」の問題を指摘する

 検診における最大のパラドックスは、検診を受けなければ通常の生活を送っていたはずの人が、検診を受けたことによって「がん患者」になってしまうという点にある。

 私たちの体内には、実は「生物学的にはがんとはいえないようながん」、すなわち進行が極めて遅い、あるいは生涯進行しない潜在的ながんが存在することがある。これらは検査をしない限り気付くこともなく、また命を奪うこともないため、本来は見つける必要がないものである。

 しかし、現代の検診技術はこうした「無害ながん」までも発見してしまう。問題は、一度見つかってしまえば、それが「命を奪う通常のがん」なのか「無害な潜在がん」なのか、区別がつかないことだ。その結果、本来必要のない手術や放射線治療が行われ、受診者は「がんサバイバー」としての生活を余儀なくされることになる。これが過剰診断の実態である。

「無駄な治療」では済まされない

 過剰診断が特に頻繁に発生しているのが、前立腺がんと甲状腺がんだ。

 斎藤氏によると、前立腺がんは剖検研究において、他因死した男性の多くに「臨床的に無害な潜在がん」として発見されることが分かっている。仮に60歳以上の男性全員に徹底的な検査を行えば、発見されるがんの約90%が過剰診断である可能性すら指摘されているという。

 甲状腺がんの例はさらに衝撃的だ。韓国では2000年ごろから超音波検査による検診が広がった結果、甲状腺がんの罹患率が見かけ上15倍に急増した。これは明らかに潜在がんを掘り起こした結果である。日本でも、東京電力福島第一原子力発電所事故後に子供や若年者への検診が行われているが、国際がん研究機関(IARC)は「不利益が利益を上回るため行うべきではない」と勧告している。(関連記事「福島の甲状腺検査に見る「過剰診断の罪福島の甲状腺がん過剰診断に見る日本の宿痾」)

 過剰診断による不利益は、単に「無駄な治療をした」では済まされない。手術や薬物療法には合併症や後遺症のリスクが付きまとう。前立腺がんであれば性機能障害や排尿障害、甲状腺がんであれば反回神経麻痺による声がれなど、治療後のQOLを著しく低下させる可能性があるのだ。

 さらに、同氏が「最も頻度の高い不利益」として挙げるのが、受診者の心理的ダメージである。検診で陽性と判定されたものの、詳しく調べたらがんではなかったという偽陽性は頻繁に起こる。

 しかし、最終結果が出るまでの間、受診者は「自分はがんなのかもしれない」という強烈な不安にさらされる。国内の乳がん検診のデータでは、要精検とされた人の70%が一定以上の不安を経験し、中には家庭生活が破綻にひんするほどの精神的苦痛を受けた例もあるという。

早期発見の影を知ろう

 なぜ、過剰診断が増え続けているのか。

 斎藤氏は、科学的根拠のない高精度検診が、人間ドックなどで商業的に拡大している現状を危惧する。「がんを早く見つけることが全て」という思い込みが、医療提供者側にも受診者側にも根強く、微小がんの発見が無条件にメリットとして称賛される傾向にあるからだ。

 しかし、検診の原則は「がん死亡率を下げる科学的根拠があり、かつ不利益が小さいこと」である。本来、医療倫理の基本である「まず害を与えないこと(Primum non nocere)」に立ち返れば、推奨されない検診の実施は、利益がなく不利益のみをもたらす行為と言わざるをえない。

 同氏は、医療従事者の役割として、検診のメリットだけでなく、過剰診断や偽陽性といったデメリットも含めた正確な情報提供が不可欠だと説く。その上で共同意思決定(SDM)の重要性が増している。

 早期発見の光の裏にある影を知ることこそが、賢明な医療選択への第一歩となるだろう。

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