秀吉の片手には六本の指があった(先天性多指症)
2011年12月08日 15:00
戦国時代、わが国を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、織田信長や豊臣秀吉に実際に会った人物として知られる。フロイスは帰国してから『日本史』という大著をあらわした。その本の中に、「秀吉の片手には六本の指(seis dedos)があった」という一節がある。
金沢百万石の城主前田利家の『国祖遺言』という書物にも、「太閤さまは右の手おや指一つ多く、六つ御座候。お若き時、六つ指を御きりすて候わん事にて候を、左なく事に候」と記されている。
フロイスと利家はそれぞれ独立してこれらを記録しているので信憑性はかなり高いものと思われる。
ちなみに、手の外科の専門医にたずねたところ、「秀吉が多指症だったことは大いにありうる。日本、中国および朝鮮の3つの民族には多指症が多く、ことに母指の基節骨から分岐するタイプのものがよくみられる。両側対称性の多指症は遺伝関係が濃厚だが、秀吉のように片側性のものは突然変異が考えられる」との教示を頂いた。
秀吉は権力の座についてから多くの肖像画を描かせたが、いずれも右手の親指をかくすよう笏(しゃく)をもっている。さらに秀吉は、己が小男でかつ風采があがらぬことに終生劣等感を抱いていたためか、肖像画はすべて顔を小さく、首から下を大きく描かせている。これも立てば六尺豊かな大男になるようにみせるためのかれの指図であろうか。
愛知県心身障害者コロニー こばと学園名誉総長・篠田達明
図:豊臣秀吉像(高台寺蔵)